『キミがその手を離すまで』
翌日からスタンはまるで人が変わったかのように、真面目に勉強を始めた。午前中までしかないとはいえ、クレメンテ老の時のように逃げも隠れもしなかった。ウッドロウも真面目に勉強を教え、スタンは少しだけウッドロウの言葉を信じかけていた。
「あいつ、ここ最近来なくなったな」
「そうですわね」
暖かい陽気に包まれたこの日、午前の涼しい風が部屋全体を爽やかな気分にさせていた。朝食の紅茶とプリンを味わいながら、リオンは小さくつぶやく。
「真面目に勉学に励みだしたらしい・・・」
「ふふふ、坊ちゃんはどこか寂しそうですわね」
「そんなことっ・・・!」
あるわけなのだが、リオンは少し頬を染めて紅茶を飲んだ。マリアンは微笑み返しただけだったが、何もかも見透かされている気分で視線をそらした。
(はぁ…最近僕はどうかしている)
「うーんっ!」
午前の勉強が終わり、伸びをするスタン。それを見ていたウッドロウはつい可愛らしいと思ったのか苦笑した。
「何が可笑しいんですか」
「いや、可愛らしいと思ってね」
「!」
ガタッと椅子を引いて逃げる態勢に入るスタンを見て、ウッドロウは困った顔を向けた。
「いや、その別にどうこうとかではないんだが…」
冷静にそう言われて過剰反応を見せたスタンは顔を真っ赤にして座りなおした。
「あ、貴方が悪いんだっ」
「すまない」
それから気まずい沈黙が訪れた。スタンがその場から逃げるように部屋を出て行くと去り際に「またね」と笑顔で手を振っているウッドロウが見えた。
(あの人、本当に変わったのかもなー…。昔みたいに間違えただけで変なコトしてきたり、勉強とかいって勉強らしいことしてないとか無くなったし、それに最近じゃ俺のほうが過剰意識してる気がするし…でも…)
廊下を考えながら歩いていると食堂からだろう、いい匂いがしてきた。その匂いにすぐに思考を切り替えると、スタンは食堂へと向かっていった。
食堂に入るといつものごとく豪華な昼食が並べられている。
「今日も勉強してたのか?」
「はい、父上!」
さっそく指定されている席に座り、ナプキンを渡される。
「やはりウッドロウ殿だな」
「そんなことより早く食べたいです!お腹ペコペコで…」
「すなまい。ではそうしよう」
そう言って神に感謝の祈りをささげた。それから皆で食事を摂っていると、セインガルドが話しかけてきた。
「最近、剣の稽古はしておるのか?」
「そういえば、して…いないです。遅れてた勉強を取り戻すのに必死で…」
「前とはまるで反対だな。両立してこそ国民の期待に沿うことが出来るのじゃぞ」
「そうですね。そろそろ始めたいと思います」
苦笑しながら返事をするとすぐに顔は料理のほうへと向いた。ホントに聞いているのかと困った顔をしたが、どんな過程であれセインガルドの言ったことは守るだろうと信じていた。
「稽古の相手をリオンにするがいい。会うきっかけにもなるだろう」
リオンと言う言葉に反応したのか、一瞬止まり、何か思いついたように頷いてみる。
「そうですね!」
今度は嬉しそうに笑うと、また食事へと戻った。
食事が終わると、スタンはさっそく手紙をしたためた。今日も課題をしなければならないので行くことは出来ないが、誰かに届けてもらおうと考えたからだ。
「久しぶりな気がするなー」
といいつつ書き終えると、王国騎士の一人に頼んでリオンの元へと運んでもらった。
三日後、その日スタンはいつもと違って朝から稽古場へ来ていた。他の兵士たちも久しぶりにみるスタンの姿をちらっと見ては気にかけている様子だった。
ディムロスがいないのに稽古場へ来ることは珍しい。一人で素振りをしている姿など誰も見たことが無かった。
「今日の王子はどうしたんだろ」
「さぁ?もしかしてディムロス殿が帰ってくるとか?」
「それはないだろう。調査員が戻る話も聞いていないし・・・」
人形待ちをしている兵士の一人が誰かを見つけて叫んだ。
「あ、え?おい、あそこ、リオン・マグナスじゃないか?」
「え?あれがそうなのか?」
その話し声は、スタンに呼ばれてきた当本人にもばっちり聞こえていた。不愉快ながらもスタンを見つけて近寄ると、集中していたのかやっと気づいて顔を向けた。
「リオン、待ってたよ!」
「ふん、ここの兵士はおしゃべりを許されているのか?」
「へ?まぁあいさつくらいすると思うけど、俺はここ先生としかこないから」
リオンが部屋全体を見渡すと、微かに兵士の顔が不自然に背けられる。リオンは気にするでもなく、スタンに視線を戻した。
「外でやらないか?」
「え?」
「外のほうが風も通って気持ちいい。大きく動けるしな」
「そっかー」
リオンの考えに納得したのか、にっこり笑顔を向けると頷いて外へ続くほうへ歩き出した。さきほどまで慣れない場所で少し緊張していたのだが、その笑顔を見せられたとたん、リオンは何故か雰囲気が和らぐのを感じた。
(スタンは本当にスタンのままだな)
外の稽古場まで行くと、また兵士による注目を浴びている二人だったが、スタンはそれに気づくことなく、またリオンはその視線に怯むことなく互いに立ち位置を決めていたかのように立ち止まった。
「リオン、俺はさっきからだ動かしていたけど・・・」
「僕もここへくるまえ、すこし動かしていた。それにお前ほど怠けては無いさ」
「勉強してたんだから仕方ないだろー!」
仲良く会話する二人を前に他の兵士達は稽古どころではなくなっていた。リオンはいつのまにスタンと知り合ったのか。仲が良かったのか。実力を初めて見るかもしれない。と遠巻きから兵士が集まりだす。
「うーん、なんか注目浴びてる?」
「気づくのが遅い。まぁ気にしてもしかたない」
「じゃあ、早くはじめよっか!技は禁止。実力ってことでいいか?」
「わかった」
「じゃあーはじめっ!!」
スタンの言葉とともに二人は動き出した。
「外が騒がしいですね・・・」
謁見の間で王と対談していたウッドロウはふとそう洩らした。いつもなら聞こえないくらいの兵士の声が今日は一段と聞こえる。うるさくは無いが、騒いでると言った声がその部屋まで聞こえてきたのだ。
「あぁ、多分スタンとリオンだろう。今日は稽古試合をするとか言っていたぞ」
「リオン君・・・?」
楽しそうに話す王とは違って、ウッドロウは眉を寄せた。
「久しぶりに友と会うのを楽しみにしていたからな」
「そう、ですか・・・。では、私の報告はこれで、失礼します」
「あぁ、下がってよいぞ」
一礼して謁見の間を出て行ったウッドロウは、騒がしい声のするほうへ向かった。真上の廊下から見えるかもしれないと思いながら進むと、窓から直接声が聞こえる場所で止まった。
(このへんか・・・あぁ、)
刃がぶつかる音が微かに聞こえる。外野の声が大きくなっていたので姿だけしか分からなかった。
(私から逃げていたとき、彼のところにいたのか・・・)
今までスタンが逃げている場所まで気にしたことが無かった。ただリオンと言われると一緒にいるところが思い当たる。
「仲良かったのだね・・・」
(よりによって・・・)
ウッドロウはすっと廊下を過ぎると自室へと戻っていった。
「マグナスさんに勝てるわけがない!」
「いや、結構成長している」
「がんばれー!!王子!」
外はもはや闘技場のように稽古どころではなかった。20分以上も続けられているが、互いに一歩もひかない。いや、引けない状態にあった。
「なんか、すごい、ね」
ちらりと外を見てみる。
「そんな余裕がまだあるのか。スタン」
「いや、そ、いう、わけじゃっ!」
リオンの剣の速さが変わる。突きが半分のスピードから通常になっただけなのだが。
「リオン、実力、って」
「そんなものだしたらお前の稽古にならん」
リオンの得意とするものは突きでもあるが、速さでもある。さきほどとは変わってスタンは攻撃を防ぐことしかできなくなっていた。
「お前は速さではなく、力技が得意みたいだからな」
「え?」
「人には得意とするものが違うと言うことだぁっ!!」
最後に思い切り突きつける。喉元寸前でピタリと止め両者は止まった。すると野外も声を止めた。
「お前はまだ、自分のことが分かってないみたいだな」
するりと剣を鞘に収めると、外野から歓声が上がった。それはほとんどがリオンに対する賛美の声だったが、リオンはそれを気にすることは無かった。
一方スタンも感動していた。今までディムロスとしか戦ってこなかったため、大技や力を重視する剣技しかやってこなかった。しかし違う形で戦うことも出来るのだと。
「リオン、ありがとう!」
「礼を言われることはしていない、ただ、兵士がこのようでいいのかとだけ言っておく」
外野に向かってぼそっとつぶやくと、ハッと兵士達は自分のしていることを思い出した。外側にいるほうからこそこそと「さぁーやるかー」とわざとらしい声が聞こえると皆が一斉にもとの場所へ戻っていった。
「いいじゃないか。皆の意欲も上がったみたいだし。それに」
「・・・」
「リオン、カッコ良かった!」
「!!」
(お、収まれ〜!!!ドキドキするなー!!)
不意打ちの一言に内心大慌てのリオンだったが、スタンはそれに気づかないまま水のみ場へと案内した。
「水は綺麗だよ」
「分かっている」
スタンは顔を突き出し、口をあけて蛇口を捻る。強さを誤ったのか、顔にかかったがそんなことは気にしないといったようにそのまま口を寄せて飲んだ。そんな姿も今のリオンにとっては何だか艶かしかった。
「飲まないの?」
手で口元を拭いて尋ねてくる。
「飲む」
そう言って飲み始めたが、頭の中ではさっきの映像が何回も繰り返し思い出されていた。
「リオン?そんなに飲まなくても欲しいならちゃんとしたのだすよ?」
「え?・・・!」
バッとスタンに応える様に顔を横に向けた。案の定水がリオンを襲う。
「り、リオン?!」
だらだらと髪を伝って落ちる水、リオンは慌てるスタンを横目で見ながら小さくため息をついた。
「少し休む」
このとき、ディムロスと同じ状態になっている自分を認めざる終えなかった。否、よりひどいのかもしれない・・・と。
(ほんと時々だけど、クールさが消えるよなぁ〜)
リオンの後姿を見ながらそんなことを思うスタンであった。
それからスタンは太陽が真上に来るまで何度か試合をして、リオンに指導してもらっていた。ディムロスが教えるような大技ではなく、秋沙雨という突きによる技を教えてもらい、後半はそれをいかに速く出来るか何度も練習し、何故かリオンは兵士の指導までやっている始末だった。
(何故僕がこんなことを・・・ふぅ、一通り見たな・・・)
視線をスタンに戻すと、飽きもせずに人形に向かって秋沙雨を繰り返していた。人形はすでに最初の形を失っているに等しい。
「大分、速くなって来たな」
「リオンの見本なんかよりまだまだ・・・」
「当たり前だ、僕の技がすぐにできるわけがない。それに基本を教えただけだ。どう工夫するかはスタン次第だ。長く出来ないなら違う技と合わせればいい」
「そうかぁー・・・」
少し考えてみるが、そんなことをすぐに思いつけることも無く。とりあえず休憩することにした二人は壁際に設置されている長椅子に座った。
ふぅ・・・と暑さと疲れを表すかのように息を吐くと、ちらっとリオンを見る。
(リオンって・・・疲れないのかな・・・)
「汗かかないね・・・」
「ん?・・・鍛え方が違うとでも言っておく」
実際体質なのだが、あえてそう言い返した。
「そういえば・・・そろそろお昼だなぁ・・・」
自分の影の短さにスタンは気づいた。上を見上げれば眩しいほど太陽が頭上を照らしていた。
「そうだな」
「じゃあこのまま御飯にしよう。リオンはどう?」
「構わない」
「ちょっと待ってて」
そうと決まれば、とさっそく城の中に戻ると召使いの一人にこのことを言伝に行った。すぐに元に戻ってきたスタンはこっちこっちと何処かへ案内する。
「何処行くんだ?」
「お風呂に決まってるじゃないかぁ!」
楽しそうに言うスタンとは反対にリオンは複雑な顔をした。気づかないスタンはすたすたと歩いて案内するが、リオンの足取りは相当重かった。
(風呂・・・考えるな考えるな考えるなっ!)
心の中で葛藤している間に風呂の入り口の前まで来ていた。脱衣室には数人の召使いが立っており、一同片手にタオルらしきものを持っている。
「お前・・・脱がしてもらうのか?」
「うん、そうだけど・・・リオンはこういうの苦手?」
「悪いがそういう習慣はない」
それを聞いてスタンは召使いに下がってもらうようお願いをする。スタンを心配する召使いだったが、「大丈夫!」といって何とか出て行ってもらった。
「何だかノイシュタット以来だね」
「・・・」
なるべく考えないようにしていたリオンは、さっさと服を脱ぐと先に入ってしまった。もちろん腰にタオルくらいは巻いている。
「機嫌損ねたかな?」
そんな様子をみて少し勘違いをしているスタンもとりあえず脱いでお風呂に入った。
中は断然広く、タイルは大理石、風呂の縁には何やら女神の像やらツボを持った男の像やらまさしく豪華絢爛といった風呂だった。湯船も一つではなく効能によって何ヶ所かに分かれている。
「コレは・・・スパというものでは・・・」
「そうともいうらしいね」
比較的目立っているには奥にある赤い色の湯船だった。
「アレはー・・・ワイン風呂だった気がする」
「はぁ・・・」
もはやため息しか出ないリオンは、とりあえずシャワーを浴びて髪を洗うことにした。スタンもリオンの真似をするようにシャワーを浴びて髪を洗う。
「のわっ、いてっ、うわっ!」
「・・・何をしてるんだ」
隣から変な声が聞こえる。同じように髪を洗っているだけではないのかと思いながらも気になってしまい声を掛けた。
「髪が絡まる・・・」
「バカか」
自分のを洗い終えたリオンは仕方なくスタンの元へ近寄った。長い金色の髪に手が絡まれている。椅子をスタンの後ろへ持っていくと座って髪から指を少し強引に抜き取る。
「いったぁ・・・」
「ちょっとそれ、貸してみろ」
スタンの傍にあった櫛を受け取ると、髪の先のほうから細かくすいていく。スタンは自分でやるよーといったのだが、僕がやったほうが早いということで、おとなしくリオンに任せることにした。
「この前は髪を括っていたな」
「そうだった。召使いさんに心配されたのはじつはこれだったのかも」
苦笑しているスタンをの後ろでは何故だかこんなことをしていても怒りを感じていないリオンが真剣に髪を梳いていた。
(あきらかに入る前より絡まってるのは何故だ・・・。ん、いい香りがするな・・・。本当にこうしてみると女のよう・・・って僕はまた何を考えているだっ!! 髪をとくことに集中しろ!!)
「リオンってさ、なんだかんだいって優しいよな。それにカッコイイし。どうやったらそうなれるんだろう」
「・・・」
「俺なんかよりリオンのほうがずっと王子っぽいのにね・・・」
(スタン・・・?)
「そろそろ終わるかな?」
「あ、ああ。終わった。僕は湯に浸かる」
「うん」
さきほど気になっていたワイン風呂のほうへ歩き出す。赤い色がなんとも言えないが、足を付けてみると温かくてふんわりとワインの香りが立ち込めてきた。
(思ったより不気味な感じではないな)
「コレに入るの久しぶりー!」
上からそんな声が聞こえてくると、横から赤い液体が襲ってきた。
「スタンっ!」
「ごめんごめん!」
あははーと笑顔で謝る。
「なんで同じところに入るんだ」
「一人で入ってるの寂しいから。いいじゃないかぁーこの前も一緒に入ったし」
何の気兼ねも無くリオンに近寄ってくる。少しくらい僕のことも考えてくれと心から願ったが、スタンには届かなかったようだ。
「リオン、あのさー」
「・・・なんだ?(近寄るなっ!)」
「リオンはこのまま王国騎士になるつもりなのか?」
「そうだ」
「それってリオンの夢?」
「・・・そうかもな」
スタンは「そっかー」とつぶやくと縁に腕を置いて顔を乗せた。
「俺は王になんてなりたくない。リオンや先生みたいに剣士になりたいんだ。でも、かなわないんだろうね。俺の夢なんか」
「・・・お前が本当になりたいんだったらなれるんじゃないか」
「え?」
リオンのほうへ振り返った。
「王にだっていろんなやつがいる。お前は王という存在に一つのイメージを持ちすぎなんだ。スタンが王になってそれを変えればいいじゃないか。前衛に出て戦う王も居たっていい。椅子に座ってない王がいたっていい。どうせ、難しいことは賢い奴がやってくれる。まぁそいつが本当に信頼できる奴じゃないと駄目になるかもしれないが・・・」
言い終わってふとスタンのほうを見る。驚いた顔を向けたまま固まっている姿をみて眉を寄せた。
「貴族あたりにはこの考えは馬鹿馬鹿しかったか・・・?」
そういわれて首を思い切り横に振る。
「違う、リオンすごい!そんな考え全然なかった!リオンの言うとおりだ!俺、王って存在に父上を見すぎてた。そうだよ、そんな王がいてもいいよな!」
「ああ」
「リオンって天才だぁああ!!」
「!!!」
自分の悩みが解決したことに感動したのか、スタンはリオンに抱きついた。感極まってということなのだが、リオンにはいただけない行為だった。
「は、はなせ!」
「あ、ごめん!本当にごめん!・・・よし!そろそろでようか。昼食が待ってるしね」
上機嫌になったスタンはそう言って風呂から上がっていったが、リオンはしばらく風呂から出ることは出来なかった。
(僕は・・・スタンの友でいいのか・・・)
そんな考えが浮かぶくらいリオンにとって深刻な悩みになっていたのはいうまでもない。
コメント
リオンもスタンも別物だけど、もうそこは気にしちゃ駄目だよ。うん。